2009年 06月 06日
5月2日、忌野清志郎が亡くなった。「キヨシロー」ではなく「清志郎」ときちんと漢字で書く方がなぜかしっくりくる。 清志郎は82年(昭和57年)、ド派手な衣装と奇抜な化粧でテレビに登場して、一世を風靡した。私の彼の歌に初めて出会ったのは、 はるか中学生時代、深夜、布団の中で聞いたフォークソング「僕の好きな先生」だった。 人を食ったような、のほほんとした歌がお気に入りになって、自転車で登校途中、鼻歌で歌っていた。 次の出会いは、74年(昭和49年)誕生日に小遣いをためて買った井上陽水の「氷の世界」のレコードで名前を見つけた時だった。 陽水との共作でリリカルな歌が印象的な「帰れない二人」と字余りを詩を強引に歌にしたような「待ちぼうけ 」だった。 田舎の高校1年生。二人が作った世界は全く理解できていなかった。 その後の出会いは久保講堂でのライブアルバム「ラプソディー」で、その時の私の感覚と清志郎の歌が合い、 その後「PREASE」、「BLUE」、「BEAT POPS」のアルバムを熱心に聞いた。そういえばコンサートにも。 歌詞も過激で放送禁止になったり、歌詞カードが伏せ字にされたりニュースに事欠かない。 その後反戦・反核など反体制のパンク野郎というイメージが強く出過ぎているように感じて、私はちょっとずつ距離を置き出し、 レコードもCDも買わなくなった。 清志郎は音楽で食べていけなければ絵描きになると言っていた。日本のパンク・ロッカーとして、いつも激しく、シャウトしながら歌う彼の曲の中に、 中学、高校時代に聞いた昔の歌の様に物語を感じたり、詩を感じたりしていた。 最近の歌はまったく知らないのだけど、いまでも気分が高揚したり疲れ切った時に、「雨上がりの夜空に」、「スローバラード」、「トランジスタ・ラジオ」 を口ずさんだり、頭の中に歌が流れている。おもしろいものだ。 もう一ヶ月以上もまえのことですが、私にはショックな出来事でしたので…。 この曲は矢野アッコちゃんが病気療養の清志郎を励ますため作った歌と聞いています。
by okurugger
| 2009-06-06 23:58
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